重たすぎて降りようと本気で悩んでた話(笑)

『平野くんがドリボで座長するなら一緒にメインになる2人は誰がいいですか?』

 
"うーん、誰だろ...?うーん...分かんないなー、その時にデビューしたグループで仲のいい子とやってたらいいですね"
 
この言葉を本人の口から聞いて、「なにきんはもう見れることないのか」って懐古することはあっても、「関西に戻ってきて」とは言わないようになった気がする。
紫耀くんがジャニーズの現実を見てるのも考えてるのも分かったし、その上でデビューする気あるんだなっていうのも感じたし、そんな紫耀くんをもう少し見続けたいって思ったから。
でもどこかで関西に戻ってきてっていう自分の気持ちを押し殺していた。
 
そもそも私自身はなにきん厨じゃなかったし、この6人じゃデビューはないだろって思ってた。けれども、それ以降紫耀くんに対して病んだ自分を振り返ったら、やっぱり関西にいる平野紫耀が好きだったんだなっということに気づいて自分でも正直びっくりしてた。
 
というのも、ドリボに入った2日後にMステでセクゾのバックでドリームボーイズとして出てきた紫耀くんを見たら、あっほんとにもう関西に帰ってこない、遠い存在になっていっちゃう、、、。そう思ったら震えが止まらなくてその日から紫耀くん見たら涙が溢れるっていう状態になってしまっていた。
 
たかがジャニーズ。そんな存在のくせにこんなに精神やられるとかハタチ過ぎてあほらしい、なんて思いながらも紫耀くんが自分の中でそんなに占めていたのかとも思った(笑)
紫耀くんの動画を見たら涙が勝手に出てくる。自分が普通じゃいられなくなると思って自然と紫耀くんを避けるようになってた。
この時は紫耀くんのことが好きなのに、重すぎて本気でおた卒するべきだって悩んでいた(笑)重たすぎて降りるってどんな状態だよ←
 
そんな時にずっと見てたのが岸孝良くん。ほんとに彼には救われました。おた卒を避けるためにずっと見てた。孝良くんのためだけに東京にSHOCK
を観に行くまではまるとはほんとびっくり。笑 ちなみに次は博多座に行ってくる(余談)
 
逃げるために孝良くんばっかり見てたのがいつの間にか好きになってて、担降りはないとか周りに言いながら、正直考えてないこともなかった(笑)
 
そこからどうして紫耀くんに気持ちが戻ったのかというと、12月のクリパ。
 
冷めてる時ほど当たるもので。紫耀くんから気持ちが離れているときに自チケでで4公演当たっていた。しかも各階最前という奇跡(笑)気持ちが離れているし、そんなにお金を払う気もなかったからとりあえず初日だけは入ろう、そんな気持ちだった。自分名義。2階最前花道真上。幕が開く...松竹に紫耀くんが戻ってきた。6人のシルエットを見ただけでもう言葉はいらない。ただそれだけで胸いっぱいで泣きそうで言葉にならない嬉しさがこみ上げていた。楽しそうな紫耀くん、可愛い彼らを見て泣いてた。セトリも楽しい。(冬の松竹が一番好き)
ほんとにただ関西が好き!やっぱり紫耀くんから離れられない!そう思いながら楽しんでいた。ただ見てるだけで幸せだった。紫耀くんが思いっきりファンサしてくれようがしまいが、その日の公演は今までで一番好きな現場には変わらないし、今でも忘れない。紫耀くんが松竹に戻ってきた、その舞台で立っている姿を見ただけで満足だったのにファンサまでくれたらもうー紫耀くん大好きが止まらない!(笑)
呆気なく平野熱が戻ってきた(笑)
よく考えたら2014年9月からの2ヶ月間冷めてたのが紫耀くんに出会った2013年3月から通して初めてだったらしい。1年半常にデレデレしてたからそんなこともあってもいいかもしれないって今なら思う。
 
 
 
 
あれから1年半、今年は初の座長である。素直に紫耀くんのファンになれてよかった!ここまで着々とジャニーズで輝いている紫耀くんを見続けることが出来るなんてなんて幸せなんだろう。前よりは確実に気持ちは落ち着いているし、2014年のあの冷め期以来気持ちは確実に変化しているのは事実ではあるけどこれからも紫耀くんのジャニーズ人生をずーーーーっと追いかけていきたい。
 
                      
                                                   
 

JW感謝祭@京セラ(2013.3.31)

紫耀くんに一目惚れした公演。

全くの初めましてじゃないから一目惚れとは違うかもしれないが...笑
ただ自信持って言えることは、生で見る平野紫耀はほんとうにかっこいい、可愛い!
 
この公演はチケットが余りまくってた。
 
チケット0.3だよ?これ入るしかなくない??
なんて同じようなジャニ歴のお友達とJUMP目当てに何となくの入ることになったのがすべての始まりである。
この時、平野紫耀なんて存在はこれっぽっちも頭に浮かんではいないから、ジュニア担への入り口は思わぬところに開いている(笑)
 
入った席は天井席。
もちろんジャニーズワールドなんか観に行くはずもないから歌も全く知らない。
なんなら山田中心に回ってる空間に驚きつつ、つまらないな〜なんて思いながら見ていた部分もある←おい
 
そんな中、関西ジャニーズJr.がフロートに乗って出てきた。
歌ってる曲はもちろん知らない。
 
でも7WEST、BADを見たとき、ほんとうにキラキラしてて、JUMPよりセクゾよりえびよりも比べ物にならないくらい輝いていて眩しかった。
 
気づいたら見よう見まねで必死で踊っていた。
 
そんな関西ジュニアにかっこいい♡♡ってなったわたしも、まだその時は平野くんには興味がない。
彼に堕ちたのは結果論かもしれない。
関西ジュニアが紹介され1人ずつモニターに映し出される。その時に映った平野くんの屈託のない笑顔にやられた。
 
関西ジュニア応援するならこの子だなーくらい。今でこそ振り返ると平野担の始まりはこの日だってなるけど、そのときはただ新たな興味が出た子が現れたくらいの気持ちであり、そこからあっという間に立派なジュニア担へと転げ落ちていくなんて想像もしていなかった。
 
ただ終わった直後に、関西ジュニアのライブに行きたいっ!!という気持ちでワクワクしていた。
その気持ちは儚くもジュニアの世界を知らないペーペーには叶わなかったが。笑(相場という現実)
 
《紫耀くんとの出会い》

ジュニア担になるまで

紫耀くんの存在を知ったのはいつか?


今ではDDっていう言葉で片付けられるようになってしまったが、わたしは完全なるお茶の間事務所担だ。
 
2012年12月。テレビ欄を眺めていたら深夜にテーマが桐山照史という番組がある。これはなんだろうと思って録画してみたのが最初のきっかけ。
 
元々2012年夏にスプラウトをきっかけに安井くんに興味を持ち、その流れでジャニーズJr.の真実を見た私がJr.の魅力に引き込まれていったのは一瞬だった。
 
Ya-Ya-yah =青春で育った私は少クラもYa-Ya-yah の番組も見ていた、だけど関西ジャニーズJr.には全くと言っていいほど興味がなかった(笑)そしてJUMPの結成により、好きだった子が辞め、ジュニアそのものに冷めてしまったという過去がある。
 
冷めたというより、ひとりぼっちで居場所がなくなったその子を見ているのがつらかった。だけど、辞めない限り応援しなきゃという変な使命感の上、いざ辞めたら全くジュニアそのものを見ることもなくなったし、いつも通りの少クラを見てつまらなくなり、自然と離れていった。
 
自分のHDDに少クラが最後に残っているのが2009年。そこからわずか3年しか経っていないのに久々に見る少クラのメンバーは全く違う。JUMPもいない、キスマイもいない、えびもいなくなった少クラを見てびっくりした。自分の中で3年なんてちょっと前の出来事。ふまけんしか分からないセクシーゾーンには"もう知らない世代だな〜"なんて思っていたけど、スプラウトきっかけでまた穴を埋めるように見始めた少クラであんなにショタだった森本慎太郎が!京本大我が!田中樹がこんなにおっきくなってる!!!男の子の成長面白い!そんなことを思ったのが最後、瞬く間にジュニアに転がり始めた(笑)
そんな時に出会った安井謙太郎(20)あれ?まだ自分より年上のジュニアがいるじゃないか!一気に応援しなきゃという気持ちが沸いてきた。
 
前フリ長くなってしまったけど、そういう時期に関西ジュニアを知った。いや、もともと知っていたから20過ぎた人らがまだ活動してるんだ〜7WESTかっこよくなってるな〜的な感じでまた見るようになった。
 
そんな時のまいジャニ。
 
メンバー小学生。中学生。高校生。
 
幼い。
 
なんだ、このちっちゃい子らがやってる番組はwww向井ってあのムエタイブラザーズの子か。くらいの認識だった。全然面白くない、平野の顔可愛いかな?それが初めてまいジャニを初めて見た時の感想だった。つまり、その時の自分は全く興味を持っていなかったし、まさかその数ヵ月後には平野沼になってるなんて思ってもないからジャニオタ人生何が起こるか分からない。笑
 
紫耀くんにはまるのはそこから3ヶ月後の3月。
 
初めてまいジャニを見て、年下過ぎて無の感情で見た後、毎週録画されるだけされて2ヶ月くらい放置していた現状からどうして関ジュの沼にはまったのか。